携帯屋の戯言

携帯屋の戯言を述べる前に、まずこの画面の右側に書かれている・かんたんな挨拶や自己紹介をしてみましょうという言葉がなんだか目に障ってしまった。簡単な挨拶なんて出来やしないししたこともない。前に出て挨拶をしろって言われたって緊張してまともにしゃべれた事なんてあっただろうかね。自己紹介ったって、どうせB4の用紙1枚すら広すぎる位の人生しか歩んでないので、ちょっと位卑屈になったって良いじゃないか、なぁ?そのくせして、人様は見下してしまうってんだから、始末が悪い。

 

さて、今回はくだらない自己紹介をしたくて筆を取ったわけじゃないんだ。携帯業界の変化とそれに伴うおっさんの心情を書きたくて書き出したんだ。時間がある人はちょっとだけ付き合ってくれたらいい。あぁ、失敬、得られるものはまず無いということを先に把握しておいていただきたい。

 

最近の携帯事情を少しお話すると、アホみたいにキャッシュバックだなんだっていって売りまくる時代は終わって、本体はいくらするからそれを一括か分割で買ってくれや、キャッシュバックなんてワケのわからない事をしてた時代はもうおしまいで、これまで還元されてた利益は全部企業が吸収するようになるんだからな、日和見してた消費者はおとなしくテメェの判断の甘さを後悔しながら泣き寝入りしてくれ、というまぁ痛快極まりない状況なワケだ。こっちは売り手の良心で『今がチャンスだよ、これを逃したらもうこんな条件じゃ買えないよ!』って懇切丁寧に教えてあげてたってのに、それを無視して『どうせいつもそんな事いって、次来たって同じキャンペーンやってんでしょ』って言って去っていったあのクソヤロウやらクソババアやらは今頃どんな泣きべそをかいているんだろうね、考えるだけで胸がすくってもんだ。まぁ年間10万円が浮くか浮かないか程度の話だから、彼ら彼女らはせいぜいボーナスをうまい事やりくりしてくれれば良いんじゃないかと思うよ。

 

こんな酔狂な文章を書いてるオトコを信じてやろうって奇特な人がいたならば、是非とも今後、家の通信契約(要はケータイとインターネットだ)は一つの会社にまとめて頼んでくれたまえ。

携帯電話が英雄ならば英雄光かケーブルテレビを使いたまえ。携帯電話がやわらかぎんこうならばやわらかぎんこう光をつかいたまえ。携帯電話がきのこならば、きのこ光をつかいたまえ。どうせどこの会社が提供している通信も、品質など大差はないのだから、高い金など払うのはバカバカしい。(と、おっさんは考えるんだが、こんな読みにくい記事を読んでる酔狂なあんたはどう思うんだい?)

料金を安く抑えたいならばやわらかぎんこうを選びたまえ。もっと抑えたいなら格安SIMという選択肢もあるが、若干難易度が高いから、世の中が落ち着くまではとりあえずやわらかぎんこうで我慢しておくがよい。バリエーション豊かな機種から選択したいならば英雄を選びたまえ。彼らは料金も比較的良心的だ。そして、親方日の丸の威光に授かりたいというならばきのこを選びたまえ。特にメリットはないが、変にプライドの高い連中の仲間入りが出来ることだけは保障しよう。

 

少しだけ話しは変わるが、携帯屋や量販店の携帯売り場の販売員というのは、基本的に客に対する良心をそれなりのボリュームで持っている。持っているとおっさんは信じている。そして、持っているが故に売れないというのは、一つの悲しい事実であると思っている。いや、まぁ、正直に告白してしまえば、売り手の良心など消費者にはどうでもよいのだ。消費者というのは、結局自分が気に入った人間にしか心を許さないし、心を許した人間からしか物を買わないものなのだ。売り手がどんなに良心的な話をしていようと、それが一部でも気に入らなければ、売れないのだ。逆に言えば、どんなに劣悪な品物を扱っていようと、売りに来た人間を気に入りさえすれば、人はそれを買ってしまうのだ。少し話しを戻すと、携帯屋の売り手は基本的に良心的であるはずだ。しかし、良心的なだけで、気に入られる技術は持ち合わせていないのがほとんどだ。中には良心など欠片も無いが気に入られる技術はたらふく持ち合わせている人間もいるが、そういった輩は極めて販売成績がよく、会社から評価されており、性善説を信じている自分としては釈然としない限りだが、所詮この世は数字が神であり、そんなところに文句を垂れても仕方が無い。完全に余談だが、世の中には良心も技術も無い連中というのがたまにいる。そういう連中は本当に召されて欲しいと心から願っている。

まぁ、とにかく、このおっさんは良心的なことだけがウリで、販売技術など欠片も持ち合わせていないから、色々と不満を抱えているわけなのだ。

この空回りしている良心を少しでも満足させたくてこんな価値もへったくれもない記事をつらつら書いているのだから、むなしいことこの上ない。せめて上で書いたケータイ選びの大雑把な基準が誰かの目にとまり、その誰かが少しでも理想のケータイライフを手に入れてくれたなら、まだ救いがあるというものだ。

 

しかし、何も考えずにひたすら心のまま文字を打ち出して行くとこんなにも読み応えなく支離滅裂なものが生まれるのかと思うと軽く絶望すら覚えるね。とりあえずここまで書いたら少し気が済んだので今日は筆を置く事にする。また気が狂ってきたころに、雑な文章を書いてみようと思うから、是非楽しみにしてくれたまえ。